こんにちは~。
2010年もあと2日ですね~。
年末、大掃除に、おせちの用意にお忙しいことと思います。
頑張りましょ~。

先日、拙著『9・11の標的をつくった男 天才と差別ー建築家ミノル・ヤマサキの生涯』の編集をして下さった講談社のNさんから、たくさんの地方新聞が送られてました。共同通信が配信して下さった書評が掲載された新聞です。こんなにたくさんの新聞に掲載されていたとは、知らなかったです。
お読み下さった方、お買い上げ下さった方、誠にありがとうございました

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ところで、現在発売中の「BRUTUS」の本特集号で、拙著が、「2011年、”世の中”を考える175冊」の1冊に選ばれました! 冬休み、何か本が読みたいなあと考えていらっしゃる方、是非、読んでみて下さいね! 
宜しくお願いします!
そういえば、根岸ご夫妻にも拙著を寄贈致しました。
すみれ夫人は読書が趣味ということで、とても喜んでおられました。
読んで下さったかな~。

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今日は、根岸すみれ夫人、生録インタビューパート4。
スキーやローラーブレードのエピソードには、根岸教授らしさがとても現れていると思います。
カラオケや子供たちの話も。
それにしても、すみれさんはユーモアに溢れておられる方でした。
では、ヴォイスレコーダー、スタート!

(根岸すみれ夫人、談話)
主人はゴルフやスキーは大好きですね。
ゴルフは私もやったんですが、私にとってゴルフは“誤老婦”(ごるふの当て字)なんです。運動神経が鈍くて、球が”ゴロゴロ”といって、打った私は”フー”という感じですから、ゴルフ(笑)。
スキーもだめなんです。サンフランシスコの北の方にあるスキー場に行ったことがあります。最初は滑れたんですが、途中から凄いスロープで、立てないほどでした。だから靴を脱いで、お尻ですべるようにしておりていきました。
後でわかったんですが、それは1964年のオリンピックの男子の滑降コースだったんです。主人に連れて行かれたんですよ。主人はすいすい滑っていきましたけどね。彼はブラックダイアモンドという上級コースも滑れますからね。主人にとっては何でもないコースでも、私にとっては大変でした。以来、主人には「おまえはスキーはやめた方がいい」といわれました。まだ、私がスキーが初歩の時ですよ(笑)。でも、私をそこまで連れて行った主人は、とても主人らしいと思いますね。

ある男性も主人にはとんでもない目に合わせられたと言っていました。彼も途中ですべれなくなり、座り込んだことがあったそうです。
主人は、他の人間が滑れてなんで自分ができないのかと負けず嫌いのところがありますね。また満州で育っているのでスケートができるんですね。でも、彼は40の時にスキーを始めたんです。滑るということに対して怖さはなかったようですね。最初にスキーをしたのがシラキュースにいた時。そこに助教授をしていた時、初めてスキーをした。その時、小樽商学からシラキュース大に来ていた先生がスキーを教えてくれるというので、主人をスキー場に連れていって下さったんです。後日、その先生からは、
「ご主人にスキーのやり方を説明するつもりだったんですが、私が靴を履いている間に、ご主人はもうリフトから手を振っていました」
といわれました。生まれて初めてスキーをした時ですよ。先生が言いました。「あの度胸には怖いくらい驚きました」と。そういうところはイノシシ、あばれ馬ですよね、無鉄砲というか。主人の性格がでてますね。思い立ったら、待てずに突っ走っちゃうんです。

そんな性格だから、主人は失敗もしましたよ。ローラーブレードを初めてした時のことです。頭を打って、3日間昏睡状態に陥ったことがありました。ドイツの国際学会でチェアマンを務めることになっていたんですが、発つ直前に、娘に誘われてローラーブレードをしたんです。ローラーブレードのシューズは娘にプレゼントされたものでした。主人は一滑りしてから、ドイツに行くことにしたんです。ローラーブレードはスケートに似てますから、たいしたことないと主人は思ったんでしょう。
しかし、滑っている途中、坂に空いていた穴に片足を突っ込んで、ころんで、頭を打ったんです。駆けつけると唇には色がなく、救急車で病院に運ばれました。先生には最初「危ないよ」とまで言われました。でも意識を取り戻したので、最後は「奇跡的だ」と驚かれましたね。言語障害もないし、ヒアリングもできるし、視力も大丈夫だったから。主人は何にも覚えていないんですけどね、その時のことは。それは、ドイツに発つほんの2時間前くらいの出来事で、私は、飛行機のキャンセルとか学会の出席のキャンセルとかに奔走しました。ローラーブレードを主人にプレゼントした娘は、責任を感じて、病院でわーわー泣いていました。
で、3日たち、主人が意識を取り戻したので、先生は主人のテストをした。「めがね、紙、ペンと言って下さい」ときいたんすが、主人は全然反応しなかったんです。目はあいたけど視線は宙をさまよっている状態でした。言語を取り戻すには時間がかかりましたよ。だんだん、自分が今どこにいるのか認識できるようになりました。その間は私もつきっきりでね。着替えのズボンを脱がす時も、首は固定したまま動かせない状態でしたので大変でした。「内出血して、脳が少し移動している」とドクターには言われました。主人は、結局1週間入院していましたね。
退院して1ヶ月以上たった頃、主人は仕事でスイスに行かなければならなくなったんです。ドクターは行くのを認めたわけではなかったのですが、主人はどうしても行きたがった。ドクターには「あなた次第です」と言われて、まっすぐに歩けるか歩行テストをされ、結局、主人は行きました。私も同行しました。

でも、よく回復したと思います。私は主人に、
天国からも地獄からも入門を断られたんじゃない。うるさいのに来てもらっちゃ困ると
と悪い冗談を言いました(笑)。主人は全然覚えておらず、事故の時の記憶が抜けているんです。だから主人は
人間あのまま痛さ怖さを知らずに逝けたら、楽だろうな
と言っていました。主人はローラーブレードは、それ以来していないですね。

カラオケも好きですね、主人は。「箱根八里」とか好きだし、「花」とか「故郷」とかも歌うし、「尾瀬の歌」も好きですね。歌謡曲も歌うし、美空ひばりの「乱れ髪」とかカンツォーネとかも好きだし。私は歌わないですね。そういう意味では、主人とは共通する趣味はないですね。
私は寝ながら空の雲を見て空想するのが小さい頃から好きだったんです。あの雲は熊の形に似ているとかね。アメリカに来て始めた趣味などはないのですが、ただ読書は好きですね。何でも読むのは好きです。やっぱり日本の本が好きなんです。遠藤周作とか好きですね。帰国した時、兄や従姉妹から日本の本をもらっています。子供が大きくなってからは、主人の学会についていってますね。子供が小さい時は教育があるのでついていけなかったし、海外にいく費用もかかりますからね。

うちは、子供たちが勉強が好きでないんですね。
子供は小さい頃「違う」ということを指摘されるのを嫌がっていました。顔が違うということで「アメリカ人の子供に目尻をつり上げた表情を作られたりした」とか言ってましたね。
子供たちは主人が忙しかったから、寂しい思いをしていました。
学校で先生が子供に「休みはどうだった?」とかきくんですね。うちの子供は祖父母や従姉妹とも遊べなかったので、アパートの砂場で一人で遊んでいたんです。娘にしたら、それを先生に言うのが恥ずかしかった、寂しかったみたいですね。主人もうちにいなかったですからね。だから、後になってですが、「砂場で一人で遊ぶのが寂しかった」と打ち明けてくれました。旅行に行くこともなかったですからね。
また、先生がパールハーバーの日、生徒に「今日は何の日か知っているか?」と聞いたことがあったんですね。そうすると、他の生徒たちがうちの娘を見たそうなんです。それがいやだと言っていました。私自身は差別的経験はないんですがね。

続きはパート5へ。

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