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こんにちは~。
寒いほどに涼しいLAです。
寒がりなので、今朝は暖房までいれてしまいました。
でも、外は、青空が広がるとてもいい天気。

以下は、先日、富山の『北日本新聞』に掲載された記事になります。
富山に取材に行ったのは2008年12月。ミノルの縁者である山室ご在住の山崎豊一さんにインタビューしました。

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(北日本新聞の記事より)
2001(平成13)年の米9・11テロで崩壊したニューヨークの世界貿易センタービル(WTC)を設計したのは県人2世だった。富山市山室出身で、アメリカに移住した山崎常次郎を父にもつミノル・ヤマサキ(1912~86年)。日本ではこれまであまり取り上げられなかったが、著名な建築家として知られ、テロから9年を迎えた今夏、その生涯を追った評伝「9・11の標的をつくった男」(飯塚真紀子著・講談社)が刊行された。日系人の差別も受けて育ちながら、人に優しく、美しく、平和な建物を求め続けたミノルの一生が浮き彫りにされている。

ミノルの父・常次郎は1909(明治42)年、23歳で渡米。シアトルで苦労しながら暮らし、11(明治44)年、東京出身の伊東ハナと結婚、翌12(大正元)年にミノルが生まれた。

ミノルは建築家となり、セントルイス空港や米大使館神戸領事館、デトロイトのウェイン州立大マクレガー記念館とミシガンガス本社ビルなどを建設、評価を高めた。1962(昭和37)年、WTCの建築家に選ばれ、日系人男性として初めてアメリカの雑誌「タイム」の表紙を飾るなど、世界を代表する建築家の一人となった。

ミノルは貿易を通じて世界平和に貢献するビルにしようという思いで、WTC建築に取り組んだ。だが、その思いに反して、大企業の富とグローバリズムの象徴にされ、テロの標的となった。イスラム建築を愛し、サウジアラビアのダーラン空港建設も手がけたミノルにとって、WTCは皮肉な運命をたどった。

取材に6年を費やし、富山も訪れた飯塚さんは、ミノルは伊勢神宮などに大きな影響を受け「見て美しく、触れて優しく、人を抱く」ような建築を心がけていたと指摘。「初めてWTCをみたときは、近代的なビルにしか見えなかったが、そのうち美しさと人間的なスケールを感じるようになった」と話す。

常次郎の兄・豊二(とよじ)の孫の山崎豊一(とよかず)さん(81)=富山市山室=は4歳のころ、富山を訪れたミノルに会ったことがあり「幼いころなので、よく覚えていないが、ミノルさんが有名な建築家になったことは知っていた。生涯が本になってうれしい」と話している。

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こちらは、拙著には未掲載の家族写真。
ミノルの生誕後間もなく撮られたものです。
筆まめだったミノルの父常次郎(写真右)は豊二さんによく絵はがきを送っていました。
セピア色が長い時間を感じさせます。

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『9・11の標的をつくった男 天才と差別ー建築家ミノル・ヤマサキの生涯』好評発売中!
どうぞ宜しくお願い致します!

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