こんにちわ~。
3週間の日本滞在を終えて、今日、LAに戻って参りました。
9月11日の神戸新聞のコラムで、拙著『9・11の標的をつくった男 天才と差別ー建築家ミノル・ヤマサキの生涯』が紹介されました。以下、その記事となります。

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* 上の2枚は、在りし日の旧神戸領事館の写真。”M・YAMASAKI”より接写したものです。


(神戸新聞 正平調より)

神戸の街を三宮から港の方に歩くと、東遊園地の南でその建物に出合ったものだ。石塀に囲まれた低層の外観。1987年まであった駐大阪・神戸アメリカ総領事館である◆学生のころ、ビザをもらいに行ったことがある。今はもう存在しないその建物に、ニューヨークと神戸を結ぶ縁があったことをつい最近、知った◆総領事館を設計したのは、日系2世のミノル・ヤマサキだ。米国を代表する建築家であるヤマサキはその後、ニューヨークで歴史的な事業を手がけている。9年前の米中枢同時テロで崩壊した世界貿易センタービルの設計である◆無数の金属柱が、空に向かって壁面をまっすぐ伸びる。高さ400メートル超の2棟の超高層ビルに象徴される巨大施設は「ピラミッド以来の最大の建築物」といわれた。しかし「9・11」では、一瞬にしてがれきの山となった◆最近出版された「9・11の標的をつくった男」(飯塚真紀子著)によると、ヤマサキはこの建物を世界平和や民主主義の象徴にしたいと考えたそうだ。それがテロの標的にされたのは、悲しい巡り合わせとしかいいようがない◆神戸の総領事館跡地にはマンションが建ち、ニューヨークの跡地でもビル群の再建が進む。都市は姿を変えても、先人の思いは大切にしたい。仏教やイスラム教、キリスト教など多宗教が共存する神戸の街から、異文化対立の火種がくすぶる彼の地に、平和の祈りを届けたい。

モスク建設が問題となっているグラウンド・ゼロですが、ミノルが生きていたら、この問題についてどう考えたでしょうか。

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コメント
Re: 貴著を拝読しました。
どうも初めまして。
拙著を読んでいただき、大変ありがとうございます! 
また、長いご感想にも感謝です。

ギレスピー氏自身にもインタビューし、いろいろお話を伺いましたが、ミノルのアメリカの建築界における評価は芳しいものではありませんでした。拙著にも書きましたが、日系人であること、(東部ではなく)中西部の建築家であったこと、当時のインターナショナルスタイルという潮流に反していた事が大きな理由です。
成功者が必ずしも幸せであるとは限らないですよね。だから、ミノルの孫娘が独り言を言うように「祖父は幸せな人だったといえるんだろうか」とつぶやいた時、感慨深いものを感じました。悲しいことですが、社会的成功者になるには、それだけ犠牲にしなくてはならないものが多いのだと思います。それは、妻であったり、子供であったり、健康であったり。すべてにパーフェクトであり続けることは難しいですよね。

日本にも双子ビルはけっこうあるんですね! そういう意味では、WTCは世界のツインタワーの先駆けになったビルなのかもしれません。取材したある人が「丹下健三さんもWTCを模して、都庁を高層ツインタワーにしたんだろう」と言っていました。その真偽はわかりませんが、都庁のツインタワーは、WTCのような微妙な配置のズレはなく、ただ平行に並んでいるように見えます。そのためか、見る角度によって、表情があまり変わらない建物のような気がしますね。亡くなられたため、当時、ミノルと交流があった丹下氏自身にインタビューできたなかったのは残念です。

> 初めまして、貴著を拝読しました。
>
> 2002年に邦訳本が出たアンガス‐K‐ギレスピー著『世界貿易センタービル』でミノル‐ヤマサキがWTCを建てたのを知ったのですが、どんな人なのか知りたくても、今まで知ることができず、実在人物なのかどうか存在を疑ったこともあります。建築の専門家の間では不当に悪く評価されているようでしたので、気になっていたのですが… ミノル‐ヤマサキの人生は、予想外に波乱と苦闘に満ちていることが判り、仕事で成功を収めていても、優雅に暮らすことはできないようで、貴著を読んでいて、しばらく腹の具合いが悪くなりました。
>
> 全く外国に行ったことのない私にとって、WTCで思い出すのは、大阪ニシ街の施設で見た絵のことです。なにわの海の時空館(Osaka Maritime Museum)」の一室に水辺を題した絵が常設展示されていて、その中にリチャード‐エステス作「スタッテン港のフェリー船着場」1989年(Richard Estes “Staten Island Ferry Slip” 油彩リネン)があり、その絵はフェリー船が泊まる港の様子が描かれているのですが、左上隅にWTCの「Twin Towers(双子ビル)」の影が霞みに浮かんでいるのが見えます。それが9・11で消えてしまったんですね。(ついでながら、この施設の近くにある単棟の高層ビル「コスモタワー」の正名は、「世界貿易センター大阪ビル」です。)それから、私の記憶に間違いなければ、9・11から数か月後に、スタッテン港で船の衝突事故が起きて、多くの死傷者が出たと聞いています。
>
> ここから余談ですが、私は過去に住んでいた地域で、日本の双子ビルの御世話になったことがあります。大阪(梅田)駅から時空館に行く途中、弁天町にORC200という双子ビルがあり、この双子ビルの地上階に屋根付きの広場があって、休日には催し物があり、フリーマーケットがある時は賑わっていて、出展者と知り合いになり話し込むこともありました。その分、平日は非常に寂しい所でした。ミノル‐ヤマサキが生きていれば、このビルをどう思ったでしょうか。千葉県の海浜幕張地区には、WBG(ワールド‐ビジネス‐ガーデン)と呼ばれる双子ビルがあり、ここの一角にあるパソコンスクールに通ったことがあり、検定試験に合格するべく奮闘していました。これらの双子ビルでひと時を過ごしたことは、忘れ難い思い出となっていますが、どちらも建てられた経緯がよく判らないのは残念です。
2010/09/19(Sun) 06:16 | URL | makikolove | 【編集
貴著を拝読しました。
初めまして、貴著を拝読しました。

2002年に邦訳本が出たアンガス‐K‐ギレスピー著『世界貿易センタービル』でミノル‐ヤマサキがWTCを建てたのを知ったのですが、どんな人なのか知りたくても、今まで知ることができず、実在人物なのかどうか存在を疑ったこともあります。建築の専門家の間では不当に悪く評価されているようでしたので、気になっていたのですが… ミノル‐ヤマサキの人生は、予想外に波乱と苦闘に満ちていることが判り、仕事で成功を収めていても、優雅に暮らすことはできないようで、貴著を読んでいて、しばらく腹の具合いが悪くなりました。

全く外国に行ったことのない私にとって、WTCで思い出すのは、大阪ニシ街の施設で見た絵のことです。なにわの海の時空館(Osaka Maritime Museum)」の一室に水辺を題した絵が常設展示されていて、その中にリチャード‐エステス作「スタッテン港のフェリー船着場」1989年(Richard Estes “Staten Island Ferry Slip” 油彩リネン)があり、その絵はフェリー船が泊まる港の様子が描かれているのですが、左上隅にWTCの「Twin Towers(双子ビル)」の影が霞みに浮かんでいるのが見えます。それが9・11で消えてしまったんですね。(ついでながら、この施設の近くにある単棟の高層ビル「コスモタワー」の正名は、「世界貿易センター大阪ビル」です。)それから、私の記憶に間違いなければ、9・11から数か月後に、スタッテン港で船の衝突事故が起きて、多くの死傷者が出たと聞いています。

ここから余談ですが、私は過去に住んでいた地域で、日本の双子ビルの御世話になったことがあります。大阪(梅田)駅から時空館に行く途中、弁天町にORC200という双子ビルがあり、この双子ビルの地上階に屋根付きの広場があって、休日には催し物があり、フリーマーケットがある時は賑わっていて、出展者と知り合いになり話し込むこともありました。その分、平日は非常に寂しい所でした。ミノル‐ヤマサキが生きていれば、このビルをどう思ったでしょうか。千葉県の海浜幕張地区には、WBG(ワールド‐ビジネス‐ガーデン)と呼ばれる双子ビルがあり、ここの一角にあるパソコンスクールに通ったことがあり、検定試験に合格するべく奮闘していました。これらの双子ビルでひと時を過ごしたことは、忘れ難い思い出となっていますが、どちらも建てられた経緯がよく判らないのは残念です。
2010/09/18(Sat) 03:22 | URL | H. C. Shinopy | 【編集
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